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前橋地方裁判所 昭和62年(行ウ)2号 判決 1989年9月28日

原告

廣神初五郎

右訴訟代理人弁護士

山田謙治

被告

地方公務員災害補償基金群馬県支部長

清水一郎

右訴訟代理人弁護士

三橋彰

右訴訟復代理人弁護士

丸山和貴

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告が、原告の昭和五八年一〇月三〇日付認定請求にかかる昭和五六年四月一四日発生の頸椎捻挫(頸肩腕症候群)の災害について、昭和五九年一二月二一日、公務外(再発非該当)となした認定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五三年四月二〇日、公務遂行中に交通事故に遭って、頭頸部外傷(以下「本件傷病」という。)を負い、公務災害と認定され、同年八月三一日、右傷害について治癒(症状固定)したと認定されたが、後遺症等級一四級一〇号に該当する後遺症が残った。

2  ところが、昭和五六年四月頃より、それまで通常勤務に就けていた原告は、後頭部痛、頸部痛、上肢痛、硬直感、しびれ感等が特に強度に発現し、入院加療を要する程の状態となり、担当医師自身も再発と認定する程度に至っている。

また、原告は、総合病院である医療法人博仁会第一病院で診察を受けたところ、原告の症状は「頸部単純レントゲン撮影上軽度の変形性頸椎症を認めた」「臨床的には頸椎後屈、側屈にて頸部痛、甲部に疼痛の出現を訴え、頸椎左側屈二〇度(右側屈四〇度)と制限されていた」「左肩甲部、頸部に圧痛を認めた」「軽作業可能な状態と考える」ということであり、明らかに増悪の症状であり、「再発」と認定されるべきである。

3  被告は、原告の再発認定請求に対して、請求の趣旨記載の通りの認定(以下「本件認定」という。)をしたが、事実の誤認があって違法であるから取り消されるべきである。

4  原告は、昭和六〇年二月五日、地方公務員災害補償基金群馬県支部審査会に対し、本件認定を取り消す旨の裁決を求める審査請求を行ったところ、同会は昭和六〇年一〇月三一日付をもって、右審査請求を棄却する旨の裁決をした。そこで原告は、昭和六〇年一一月三〇日、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求を行ったところ、同会は昭和六一年七月二三日付をもって、右再審査請求を棄却する旨の裁決を為し、同裁決は同年八月一五日原告に送達された。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1の事実、同2のうち原告が医療法人博仁会第一病院にて診察を受けた事実、同3のうち被告が本件認定をした事実、及び同4の事実は認め、その余は否認する。

三  被告の主張

1  本件認定の経緯

(一) 原告は、昭和五八年一〇月三〇日、本件傷病について、再発認定の請求書を提出し、同五九年三月三〇日に一旦被告が受け付け、その後追加書類等の整備が終った同年八月一日に右請求を正式受理した。

(二) その後被告は、原告の提出にかかる前記認定請求書や診断書等の調査、右診断書を作成した永井伊津夫医師及び松村睦医師に対する面接調査をし、被告の専門委員である県立前橋病院整形外科部長大塚仲夫医師に、症状固定とされた昭和五三年八月以降からその当時(昭和五九年五月頃)までのレセプト(原告を治療した医師が原告の加入する警察共済組合に提出する診療報酬明細書)の治療内容から原告の現時点の症状を判断してもらい、原告にも昭和五九年九月一九日に右県立前橋病院で頸部レントゲンの他に、CTスキャン(コンピューター断層撮影)による診断を実施した。また、原告の勤務先にも照会し、任命権者の意見書の提出を受け、これらを検討した結果、再発に当らないと判断して、本件認定をした。

2  再発非該当とした理由

(一) 地方公務員災害補償法(以下「補償法」という。)に言う「再発」とは、「公務又は通勤により生じた傷病が一旦治った後において、その傷病又はその傷病と相当因果関係をもって生じた傷病に関し再び療養を必要とするに至ったこと」とされる。

(1) この意味は

ア 当該傷病が一旦治った後に、自然的経過により症状が悪化した場合

イ もはや医療効果が期待できないために治癒と認定した後、医学の進歩等により医療効果が期待されるようになった場合

を言う。

(2) アの「悪化」とは、通常、従前の症状よりその症状が「増悪」した場合を「悪化」したと考える。

(3) また補償法による「治ったとき」とは、「障害等級の決定について」と題する通達(昭和五一年一〇月二九日地基補第五九九号)によれば、医学上一般に承認された治療方法によっては、傷病に対する療養の効果を期待しえない状態(療養の終了)となり、かつ、残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に達したときを言う。

(4) そして、右通達によれば、補償法二九条一項の障害等級の決定は(3)の「治ったとき」に行なうとされているところ、原告は昭和五六年六月一五日に障害補償一時金の請求をなし、被告は障害補償一時金の支給に際して、原告の初発傷病に対する障害等級(一四級一〇号)の決定を、昭和五六年七月八日にしている。

(二)(1) ところで、原告の本件傷病は、治療により完全に治癒した場合と異なり、所謂症状固定により後遺症状(一四級一〇号)を残して「治癒」すなわち「治った」場合である。そして、現在、医学の進歩により原告の右後遺症状が消失するような医療効果が期待できる治療薬の開発がないのであるから、原告の初発傷病に関する「再発」の認定の可否は、補償法の基準から言えば、当該傷病が一旦「治った」後に、自然的経過により病状が悪化した場合(前記(一)(1)アの場合)に該当するか否かにかかっている。その場合の「再発」とは、通常予想される原告の後遺症状(一四級一〇号)以上に、その症状が増悪した場合に悪化した(再発した)と考えられる性質のものである。

(2) 被告の後遺症の場合は、自覚症状が中心で、症状固定とされた昭和五三年八月以降の治療内容と再発したとされる昭和五六年四月以降の治療内容(昭和五九年五月頃まで)を比較すると格別の差異がない。他覚的所見において悪化が確認されれば格別、本件のように自覚症状のみの場合、症状が悪化すれば当然その治療内容にも差異を生ずるはずであり、治療内容に差異がないことは、症状固定後残存する後遺症状と原告が「悪化した」即ち「再発した」と主張する昭和五六年四月頃以降の後遺症状とに格段の差異がなく、増悪と認められないことを意味する。従って、被告の本件処分には、何ら違法の事由はない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1及び4の事実、同3のうち原告の再発認定請求に対し、被告が本件認定をしたことは当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  原告(当三三歳)は群馬県巡査で太田警察署捜査係であったが、昭和五三年四月二〇日午前九時一五分ころ、群馬県北群馬郡榛東村大字新井一〇七二番地の一先の非舗装道路を同僚の運転するパトカーの助手席に同乗して時速約一五キロで走行中、パトカーの前輪が水溜まりになっていた窪地(幅2.8メートル、縦1.9メートル、深さ26センチメートル)に滑り落ち、その前部が交差道路の側溝コンクリートに衝突した際、ダッシュボード等に頭部を打ちつけた(以下「本件事故」という。)。

2  (一) 原告は、事故後直ちに救急車で群馬大学医学部付属病院脳神経外科に運ばれたところ、頭頸部外傷により頸部運動制限、頭痛を認めたが、神経学的診察、頸椎・頭部単純撮影にては異常所見を認めないと診断され、入院の必要を見ず、同年五月一一日まで内服薬にて経過観察の処置をとられた。原告は、同月一三日高崎市内の関口整形外科医院医師関口義五郎方へ転医して受診したところ、頸椎捻挫の病名で、約一カ月の休業安静加療を要すると診断された。その後、加療期間は逐次延長され、最終的には同年八月一日、同月未日まで休業加療を要するとされた。他方、原告は、同年五月八日、総合太田病院で、同年六月二一日樋口整形外科で、同年九月九日佐藤医院で、同五四年二月一六日西形医院で、それぞれ受診し、レントゲン検査や治療を受け、総合太田病院では頸部捻挫と、樋口整形外科医院では項部痛と、佐藤医院では鞭打ち症と、西形医院では頭部外傷後遺症と、それぞれ診断された。

(二) 原告は、昭和五三年五月一五日付けで被告に公務災害認定請求書を提出し、同月三〇日付けで公務上の災害である旨の認定をうけていたが、同五四年二月一六日関口整形外科医院で脳波検査を受けた上、同月二〇日付けで、昭和五三年八月三一日治癒(症状固定)した旨、かつ、障害の程度内容は、「時にめまいがあるが脳波検査では異常を認めない」との関口医師の証明を付した公務傷病治癒報告書(<証拠>)を被告に提出した。そこで、被告は、昭和五四年三月八日、全部治癒(治癒年月日・昭和五三年八月三一日)の決定をし、そのころ治癒認定通知書を原告に送付した。

(三) 原告は、昭和五四年五月一九日から村松内科医院医師村松睦(以下「村松医師」という。)方で受診し、頸肩腕症候群(頭重、項背腕部鈍痛及び不快感)と診断され、継続的に治療を受けるようになった。昭和五七年一二月頃には後頭部神経痛の所見も出現し、村松医師への通院は時に継続しながらも現在まで継続している。更に原告は、昭和五四年一〇月一九日、鹿山整形外科医院鹿山徳男方でも受診し、頸椎捻挫後遺症と診断され、同五六年四月一一日まで通院した。肩甲部重圧感、頭痛、めまい等の愁訴が著名であったが、殆ど一進一退であったと診断されている。

(四) 原告は太田市主催の法律相談を利用し、道路管理者を相手に民事調停を申し立てるなどしていたが、昭和五五年末ころ、前橋赤十字病院で後遺症診断を受けて自賠責保険金の請求手続をしたところ、後遺障害等級一四級の認定を受け、後遺障害による損害賠償金五六万円が支払われることになった。ちなみに、自賠責保険の手続において査定された原告の損害賠償額は一九五万八九七〇円であり、昭和五四年六月五日、同五五年九月一二日、同五六年一月二三日の三回にわたって内金一五六万円が支払われている。

更に原告は、昭和五五年一二月二四日、群馬県立前橋病院で医師大塚仲夫の診断を受け、これに基づき作成され、傷病名欄に「頸椎捻挫」と、主訴又は自覚症状欄に「両肩凝り及び左前腕のしびれと脱力感がある」と、予後の所見欄に「頸椎捻挫による局部神経症状を残存する」と記載された、昭和五六年一月一四日付障害程度診断書(<証拠>)を添付して、昭和五六年六月一五日付障害補償一時金等請求書を被告に提出した。被告はこれを受けて、原告の障害等級を補償法二九条別表の一四級一〇号と決定し、同年七月八日決定金額一七万七〇二七円を原告に通知した上で、同月一五日これが支払を了した。

(五) 原告は、昭和五六年四月二二日永井外科胃腸科こと医師永井伊津夫(以下「永井医師」という。)方で受診し、病名を頸椎捻挫後遺症と診断されたが、みずから入院を申し出て、同日から五月一一日まで入院治療を受けた。原告は、その後同医師方へ昭和五九年五月ころまで通院したが、その間、昭和五八年六月一一日から同月二三日まで入院して、牽引、安静、湿布などの治療を受けたほか、項部痛などが出て、ひどくならないうちにということで、同年一一月一四日から二四日まで入院した。なお、永井医師は昭和五六年六月一〇日、原告から、「署内で事務をしていると気分的にいらいらする。室外の勤務で汗を流せば気分がすっきりとすると思うので、先生から林次長に話してみてくれないか」と頼まれて、原告の勤務先である太田警察署に電話し、かつ同署次長林仟章宛に、原告の症状はいわゆる鞭打ち症後遺症で、脳外科的、精神科的異常はなく、入院中も対症療法のみで軽快したこと、本人の気の持ちようが症状の発現に重要な要素を占めると思われるので、原告の職種的希望を容れてやるのも一法かと思われる旨を記載した書簡を送った。

3(一)  原告は、昭和五八年一〇月三〇日付の公務災害再発認定請求書(受理されたのは、同五九年八月一日である。)を被告に提出した。右請求書において、原告は、傷病名を頸椎捻挫とし、再発日時は昭和五六年四月一四日であり、そのころから症状が悪くなり、自覚症状も頭痛、めまい、精力減退、記憶力の衰え、物忘れ、倦怠感、易疲労、又疲労が重なるとめまい、頭痛がし、左頸部のすじや肩がはってなにをするのも厭になると、主張している。

(二)  右請求書には、医学的資料として、①永井医師作成の公務傷病等診断書、②同医師作成の医学的意見書(結論として、頸椎捻挫再発と認め、その理由として、「少なくとも受傷以前は元気に働いていた。疲労時の左頸部痛、頭痛、めまいが頸椎捻挫再発症と認められる」と記載されている。)、③同医師作成の昭和五九年三月一二日付診断書(「病名頸椎捻挫、右患者は右病名にて昭和五三年八月三一日治癒<症状固定>と認定されておりますが、昭和五三年四月二〇日頃より頸部痛、めまい、頭痛等の症状が現れ、昭和五六年四月より五八年一一月までの間に三回入院治療を繰り返しており、現在も外来通院を繰り返しております。よって現在の症状が交通事故によるもの<再発>と認めます。」と記載されている。)、④村松医師作成の公務傷病等診断書(傷病名として、「頸椎捻挫による頸肩腕症候群、頭痛・項背部痛・上肢シビレ<抑うつ反応、全身倦怠等あり>」と記載されている。)、⑤同医師作成の医学的意見書(「〔結論〕昭和五三年四月二〇日に受傷せる頸椎捻挫にて組織学的の損傷は、治癒している判定であるが、その際の神経損傷及び自律神経失調的症状は、他覚所見なきも継続していると推定される。〔理由〕多くの頸椎損傷例に於いてみるごとく、X線や神経学的他覚所見は異状無くとも、肩凝り、頭痛、シビレ、疼痛等は自覚症状として残るものが多い。その理由としては、各種のものがあるが、多く自律神経失調症や心因的な心身症発生によると思われる。本症例は頸椎捻挫による頸肩腕症候群であるが、現在は心身症としての頸肩腕症候群と思われる為、抗不安薬、心理療法、身体調整療法を必要とする。この点では全身療法と副作用のない漢方内服や針灸治療の適応であると考える。」と記載されている。)、⑥同医師作成の昭和五九年三月一〇日付け診断書(「〔病名〕頸肩腕症候群及び不定愁訴心身症、〔付記〕五四年五月頃より頭記症状出現し、五六年四月より症状増悪し入院治療にも至った。症状は自覚症状が主で、他覚所見は乏しいが苦痛は増大し継続している。これら症状群は前記交通事故に基づく心身症と考えられます。」と記載されている。)、以上六通の書面が添付されている。ところで、永井医師作成の右②医学的意見書(<証拠>)には「再発」という語句が二箇所用いられているが、これは二箇所とも、最初「後遺症」と記載したものを、原告の依頼に基づき、同医師が抹消して、「再発」と書き換えたものであり、同医師としては、昭和五八年九月当時の原告の症状と本件事故と困果関係があることを表現したつもりであった。

右請求に基づき、昭和五九年九月一九日、被告の依頼により、県立前橋病院で原告の頸部レントゲンと、全身のCTスキャン検査が行われたが、CTスキャンの結果に異常はなかった。レントゲンの結果も異常はなく、診断に当たった大塚仲夫医師は、変形性頸椎症などの所見はないと判断した。また、被告の職員が行った対面調査に対して、永井医師は、治療内容は頸部の牽引が中心で、五六年四月ころと変わっていないと説明し、村松医師は、治療内容は低周波療法、精神安定剤の投与で、五四年五月頃と変わっていない、本人がこだわっているのは医学的な面以外のもの・職場の上司への不満等だと思うと、説明した。更に、原告の任命権者である群馬県警察本部長は、再発と認められないという意見を述べ、その理由として、原告は、昭和五六年六月一五日に障害補償一時金等を請求し、同年七月八日の障害補償決定に服し給付金を受領しているが、四月に再発を自覚していたとすれば、障害補償決定の際不服審査申立ての教示もなされていたことでもあり、九月初旬ころまでに、その旨意思表示があってしかるべきであること、原告は、昭和五七年三月二五日の異動により、前橋東警察署に配置換えとなり、住居を前橋市総社町の宿舎と定めたが、実情は、本人の希望により榛名町の自宅から往復四三キロを自動車を運転して通勤していること、等をあげている。

(三)  被告は昭和五九年一二月二一日、公務外(再発非該当)の認定をした。

4  原告は、上記した各医療機関のほかにも、昭和五五年から同五九年にかけて、国立高崎病院、東大病院、野口病院、並木整形外科、警察病院などで検査や治療を受けている。そして、以上多数の医療機関が施した原告に対する治療方法は、主に痛み止めと不定愁訴の治療を目的とする一般的なものであり、具体的には湿布、超短波、牽引、ハイゼットなどの薬品の投与などが主たるもので、昭和五六年四月二〇日の入院の前後を通じてさしたる変化は見られない。

5(一)  原告は、本件事故の当日である昭和五三年四月二〇日から同年九月一〇日まで公務傷病で勤務を休んだ外、同年一〇月一七日から一一月三〇日まで四八日の病気休暇を取ったが、昭和五四年以降の病気休暇は、同年に於いて三一日、昭和五五年に於いて一〇一日、昭和五六年に於いて六五日、昭和五七年に於いて一一日、昭和五八年に於いて四二日、昭和五九年に於いて六〇日となっていた。

(二)  原告は、昭和六〇年七月ころから、医療法人博仁会第一病院にも通院するようになり、肩・首の痛み、手のしびれ、脱力感、頭痛などを主訴として、同病院整形外科の岸正人医師の治療を受けていたが、昭和六一年に於いても四月六日から九月三〇日まで病気休暇をとり、その際、勤務先に執務承認願いを提出する必要から、同病院で検査を受けたが、岸医師が同年九月一〇日付で作成した診断書には、「病名・外傷性頸部症候群、昭和六一年七月下旬から八月にかけて頭部頸部X―P検査、CT検査、眼底写真検査、血液生化学的検査を含めて精査を施行した。頸椎単純X―P軽度の変形性頸椎症を認めた。臨床的には頸椎後屈、側屈にて項部、肩甲部に疼痛の出現を訴え、頸椎左側屈二〇度(右側屈四〇度)と制限されていた。左肩甲部項部に圧痛を認めた。四肢、腱反射、知覚、筋力に異常を認めなかった。軽作業可能な状態と考える。」との記載がある。なお、原告は同病院に継続的に通院を続け、現在に至っている。

(三)  原告の症状は、上記認定にかかる事実からも明らかなとおり、殆んどが自覚症状であり、他覚所見がないのが特徴である。その点からすれば、右変形性頸椎症はレントゲンに現れた例外的なものといえる。しかし、岸医師の判断によれば、右変形性頸椎症は、第五、第六頸椎間及び第六、第七頸椎間の二箇所がほんの少し狭いかなという程度の変化であって、前橋病院で昭和五九年九月一九日に撮影したレントゲン写真(<証拠>)にも同様な像があり、医師の見方によって違う診断になるかもしれないものである。なお、この変化と原告の症状との結び付きはない。

6  原告の最近の状態について、原告を長年に渡って診察している村松医師は平成元年六月二五日付けで作成した診断書において、病名を「頸肩腕症候群及び心身症」としたうえで、「患者は頭記病態により平成元年六月一九日現在(当院最近来院日)後頭部重圧感、立ちくらみ、右上肢及び左肩のシビレ感並びに最近の首の屈伸回旋時の左下肢における異常知覚を訴えております。なお、この症状は雨天時には増悪する由であります。また前記症状は昭和五三年四月における公務中の交通事故より継続し、一進一退より漸次増悪していると患者は強く主張しています。当院においては、患者症状の経過も長期で、他医において診断加療の事実もあるので、当院として出来るだけ上記症状、苦痛の除去に有効と思われる、独自の低周波置針療法に主体を置いて加療していますが、なかなか自覚症状の好転をみずに経過している現状であります。なお、心身症、病態については一二年間に及ぶ本人の苦痛の訴えが各所の加療にても十分なる改善がみられず、そのために全人的に社会人、職業人、家庭の責任者として、十分な活躍が出来ないための心労・葛藤(度々手紙にて訴えてきている)が症状形成の上にかなり影響していると推定する次第です。このため今後は診療内科・精神科・心理療法科などの専門的アプローチの必要もあるかもしれないと考えます。本人を取り巻く人間関係の暖かい改善も必要のごとく推測します。」と記述している。

三原告の昭和五六年四月一四日以降の傷病(以下「本件現症」という。)が本件傷病の再発に当たるか否かを判断する。

1 補償法の補償の対象となる傷病の再発とは、一旦治癒(この場合の治癒とは、原則として、医学上一般に承認された治療方法によっては傷病に対する療養の効果を期待し得ない状態<療養の終了>となり、かつ、残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態<症状の固定>に達したときを意味すると解するのが相当である。)とされた者について、その後に、①自然的経過により症状が悪化した場合(この場合、傷病名が変わることがあり得る。)、②その傷病の原因となった事故と相当因果関係が認められる傷病が発生した場合、又は、③当該傷病について、もはや医療効果が期待できないために治癒と認定した後に、医学の進歩などにより医療効果が期待されうるようになった場合をいうと解するのが相当である。そして、①の悪化とは、本件のように残存障害につき障害補償が行われている場合には、当然のことながら、些少な症状の変化では足りず、補償に際し定められた障害の等級の守備範囲を越え、新たに他の等級に該当するに至る程度の症状の増悪を意味すると解すべきである。

2  ところで、頸肩腕症候群、頸椎症、外傷性頭頸椎部症候群などの病名で総称されている、追突等による鞭打ち機転によって頭頸部に損傷を受けた患者が示す症状は、身体的原因によって起こるばかりでなく、外傷を受けたという体験によりさまざまな精神症状を示し、患者の性格、家庭的、社会的、経済的条件、医師の言動等によっても影響を受け、ことに交通事故や労働災害事故等に遭遇した場合に、その事故の責任が他人にあり損害賠償の請求をする権利があるときには、加害者に対する不満等が原因となって症状をますます複雑にし、治癒を遷延させる例も多く、衝撃の程度が軽度で損傷が頸部軟部組織(筋肉、靱帯、自律神経など)にとどまっている場合には、入院安静を要するとしても長期間にわたる必要はなく、その後は多少の自覚症状があっても、日常生活に復帰させたうえ適切な治療を施せば、ほとんど一か月以内、長くても二、三か月以内に通常の生活に戻ることができるのが一般であることは、当裁判所に顕著な事実である。

3 そこで、上記二に認定した事実に、右当裁判所に顕著な事実を総合して考察すると、原告は、本件事故により頭頸部外傷(頸椎捻挫)の傷害を受け、その症状を呈するに至ったが、更に、多数の医療機関を歴訪していることに象徴される不安を感じやすい性格と自己の病状に対する職場の対応への不満などさまざまな心的要因により、遅くとも昭和五四年五月頃には神経症ないし心身症を引き起こし、その後、その症状が固定化したものと認めるのが相当である。

ところで、原告は昭和五六年四月一四日頃から、症状が増悪したというけれども、前認定の事実に照らせば、原告が、神経症ないし心身症発症後と認められる昭和五五年一二月二四日、県立前橋病院で大塚医師の診察を受けた際の症状である、頭重感、両肩凝り及び左前腕のしびれと脱力感などが、原告主張のころ特に増悪したと認めることはできない。換言すれば、原告の神経症ないし心身症に基づく不定愁訴症状は、大塚医師の右診断の際に既に現れて、後遺障害等級の認定において考慮されており、その後長期間に渡っているけれども、その程度においては障害等級の変更を要するほどの顕著な変化は見られないというべきである。

原告は増悪の根拠として、入院加療、担当医師の再発の認定、レントゲン上認められる変形性頸椎症などを上げるけれども、まず昭和五六年四月二二日から永井外科胃腸科への入院は、原告がみずから希望してなされたもので、医師が積極的にその必要を認めたものとは認められないこと、しかも、その日が同医師としては原告を初めて診察した日であったこと、同医師方でのその後の入院加療も、ひどくならない内にという程度の理由でなされていることに鑑みると、症状の増悪を裏付けるものと評価するのは困難である。また担当医の再発認定に該当する事実としては、永井医師作成の医学的意見書と、同医師作成の昭和五九年三月一二日付け診断書があるけれども、右医学的意見書の再発の語句は、最初「後遺症」と記載したものを、原告の依頼に基づき再発と訂正したもので、永井医師としては原告の症状と本件事故と因果関係があることを表現する意図であったことは、前認定のとおりであり、この事実によれば、右診断書の再発の語句も同様の意味で用いられたものと推認するのが相当であるから、結局、これらをもって原告を診察した医師が再発を認定した証拠とすることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。次に変形性頸椎症であるが、これも前認定のとおり、その存在を肯定する岸医師自身、医師の見方によって違う診断になりうることを認める微妙なものであり、CTスキャンには現れず、大塚医師はその存在を否定していることに照らすと、未だ原告に変形性頸椎症ありと断定するには躊躇せざるを得ない。

以上要するに、原告の不定愁訴症状は、時と場合によってその内容に多少の変化は見られるものの、障害等級一四級の変更を迫るほどのものではなく、悪化と認めることはできないというべきである。このように、原告の本件現症は悪化に当たらず、他に前記再発の要件を満たす事情は存在しないから、本件認定は適法である。

四結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官清水悠爾 裁判官田中由子 裁判官大久保正道)

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